佐木斎(ゆさもくさい) 仙台藩儒学者

万治元年(1658)−享保十九年(1737)

 
 仙台藩の儒学者として、仙台の学問史に一番大きな影響を与えた人物。藩命により、藩史編纂(治家記録)を行う。山崎闇斎の門人として、神道・儒学の両方を学び、室鳩巣と神道の是非をめぐり議論を行った。(神儒問答)
 神儒問答を始め、木斎の著作・人物関係には、垂加神道に天文の要素が含まれていたことを示唆する史料が多い。
 また、遠藤盛俊、入間川市十郎との交流も見られる。木斎は、綱村公隠居後も、側近として使えていたが、この頃、佐竹義根は綱村公の奥小姓を勤めていたとあることから、
佐竹義根とも面識があった可能性が高い。。。。と思う!
 
遊佐木斎略歴
 万治元年(1658)  一迫町で生まれる。
 寛文八年(1668)  仙台に移住
 延宝二年(1674)  大島良設の門人となる
 延宝三年(1675)  良設に従い京都へ、中村てき斎に朱子学を学ぶ
 延宝六年(1677)  三月二十七日、山崎闇斎に師事
          九月五日、闇斎の神道門弟となる
 延宝七年(1678)  
四月十二日早旦有命。上孟子蒙引於儿前。此日土御門殿来。見於先生予嘗約日至上川原右京
              口解啓蒙数處。叉見渾天儀(木斎紀年録)

          八月、藩命を受けて江戸に帰る
 延宝八年(1679)  
富士山方白気見。長亘中天。後見為彗星
 天和二年(1682)  山崎闇斎、没する
 貞享三年(1686)  藩史編纂を命じられる
          白石翁と春海について語る
 元禄八年(1695)  「神儒問答」 (〜元禄十年)
          「皇極内篇発微」
 元禄十六年(1703) 綱村公隠居
 宝永六年(1709)  
伊達村定、伊達村泰より書を賜る
 正徳四年(1714)  遠藤盛俊
の天文図象二器を見る
                跡部光海の門人となる。
                葛西重矩の「天文秘抄」の序文を著す。
 正徳五年(1715)  山崎闇斎から渋川春海、跡部光海に伝わった十種三種秘傳書を受ける
 享保二年(1714)  
入間川市十郎から、跡部光海の本を受け取る
          「皇極内篇発微」を刊行
 享保四年(1716)  綱村公没する。
          藩の儒員を引退。仙台に戻る
          垂加神道皆伝。
 享保八年(1726)  伊達村定公(涌谷伊達家)に神道の秘伝を口授する。
 享保九年(1727)  留守友信「倭学通大伝」(木斎よりの伝)
          
 享保十年(1728)  
八月二十四日 戸板保佑に会う
 享保十一年(1729) 四月十七日、戸板保佑、木斎の講義を聴く
 享保十四年(1732) 跡部光海没する。七十二才。
 享保十九年(1737) 没する。正宗山瑞鳳寺に葬る。七十七才。
 
  
<師弟関係> 
 
  山崎闇斎──┬──渋川春海────跡部光海──┬──遊佐木斎
        │                │
        │                │
        └────────────────┘
  
 
 
【木斎紀年録】

●(延宝八年)富士山方白気見。長亘中天。後見為彗星

●(延宝七年四月)十二日早旦有命。上孟子蒙引於儿前。此日土御門殿来。見於先生予嘗約日至上川原右京。口解啓蒙数處。叉見渾天儀(木斎紀年録)

●(天和三年、十一月冬至。)元旦雑煮餅。七種朝餅粥。上巳草餅。端午茅巻餅。七夕索麺。重陽小豆強飯。

●正徳四年  六月六日遠藤小五郎天文図象二器持参之。始見見之器象實開天体秘密。見日月五星羅計気學之象隠。至妙之事也。一図者。月之九道明白也。(木斎紀年録)

●正徳五年

秋七月。自光海翁。傳垂加霊社神道之傳。受十種三種秘傳書。此書者名四五九抄渋川春海丈所光海君也。(木斎紀年録)

●享保二年

夏六月十七日。入間川氏市十郎。自江戸帰。齋光海君印符書套来。神道極秘ロ訣書也。是前約也。遠藤行篤取乏。所レ附入間川也。(木斎紀年録)

●貞享三年十二月九日

此行九日宿白石。無名翁出。語偶及保井春海所作貞享暦。翁曰。今見此暦亦欣幸。大權現之時。略有暦差之議。無其人而已。今也天運至而已。好生與翁談隣神國之道世事。翁意稍解語好生曰。凡物在天地間有下無其用者上。牛溲馬勃。糟粕灰塵。此夫然。唯此頑老也。已無用。實天地間之一棄物而已。我故悪下爲此棄物而耗中其有用物上也。(木斎紀年録)

 
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