仙台藩の天文史

~ 天文家の人物伝 ~

青田依定(あおたよりさだ) 元文元年(1736)-寛政2年(1790)


■人物伝
 名は章、字は東秋といい、源蔵と称しました。
 元文元年に生まれ、初めは戸板の門人である和久半右衛門に算術を学びますが、宝暦9年~11年にかけて、藩の命を受けて戸板保佑に天文暦術を学びます。源蔵はこれにより、上士の班に列せられます。天明元年、幕府は全国から天文方吉田家の暦官を募集しています。このときから、源蔵は吉田秀長について天文方の暦官となり江戸で活躍します。幕府は西洋流の新しい暦を試しに作るよう、吉田家に申し入れていますが、このとき青田の功績が大きいとして表彰もされています。天明8年弟弟子の藤広則と共に京都の土御門家に行き、しばらく滞在した後、暦術の伝を受けています。翌、寛政2年8月12日55才の時に、改暦を待たず江戸で亡くなっています。享年55才。芝愛宕下考寿院に葬られました。仙台土樋真福寺には、青田依定の碑がありました。(今はないかも・・・)
本吉郡歌津村柏崎の唐船横目。
青田依定 天文家。名は章、字は東秋といい、源蔵と称す。宝暦九年藩命を以て戸板保佑に天文暦術を学び、夙夜(しゅくや)精励、三年にして其の業成る。重村公これを賞して、上士の班に列せしむ。天明元年幕府天文学の徒を召し、天文官吉田某に属して暦法を考訂せしむるに当たり、依定また與(あずかり:参加し)りて力あり。功成りて各賞を賜う。寛政二年八月十二日江戸に没す。享年五十五、芝愛宕下考壽院に葬り、別に碑を仙台土樋真福寺に建つ。


青田依行 藩士。通称作右衛門、世々組士を以て本吉郡歌津村泊崎唐船横目たり。その子源蔵依定天文暦学を以て抜擢せらるるに及び、依行また大番士に列せらる、明和六年十二月四日没す。享年七十三。仙台土樋真福寺に葬る。

 

■青田依定略歴 


 元文元年(1736) 生まれる。
 宝暦年間    和久半右衛門に算術を学ぶ。
 宝暦9年(1759) 藩命で戸板保佑に天文暦術を学ぶ。24才。
 宝暦11年(1761) 重村公、賞する。上士の班に列する。27才
         父、作右衛門も組士となる。
 宝暦13年(1763) 後藤成次と共に,土御門泰邦の門人になる。
 明和6年(1769) 父が亡くなる。
 天明元年(1781) 幕府、天文学者を集める。天文方吉田家の属員となる。46才。
 天明8年(1788) 藤広則とともに土御門家より暦術を教わる。41才。
 寛政2年(1790) 8月12日歿する。享年55才。 

 

■師弟関係


       ┌─戸板保佑──┐
       │(1714-1777)  │
和久半右衛門─┴───────┼─青田依定
               │
吉田秀長───────────┤
               │
吉田秀升───────────┘

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