仙台藩の天文史

~ 天文家の人物伝 ~

遠藤右門(えんどううもん) 寛政頃の人


■プロフィール

 通称右門。{西磐井郡一関出身。根拠?}  加茂紋三郎義明の弟子。天門司家土御門家より寛政暦法の秘事を皆伝。  生没不詳。寛政~天保年間まで天文学者として活躍。  遠藤右門は寛政の改暦に参加しているほか、天保年間に書かれたとされる「仙台府諸士版籍中・下」に名前が見られる。
 福井県名田庄村の暦会館には、遠藤右門から土御門家あてに送られた、寛政十年(1798)十月の月食観測の報告書が残されている


■遠藤右門年表

 宝暦~天明年間 生まれる。
 寛政 六年(1794) 四月二日、給主組より大番士に進む。
 寛政 九年(1797) 七月、寛政の改暦のため、京都土御門家に行く。
 寛政 十年(1798) 十月、月食観測の報告書を土御門家に送る。
 寛政十二年(1800) 土御門家の門人としての記録あり
           三月十七日、前日の月食の記録
 文化 元年(1804) 土御門家の門人としての記録あり
 文化 元年(1804) 門人・小野寺が横山不動(津山町)に算額を奉納(現存しない)
 文化 八年(1811) 養賢堂に算法の講座が作られ、門人の松木が教員となる
 文化 九年(1812) 門人・小岩幸吉が築館杉薬師に算額を奉納(現存しない)
 文政 ニ年(1819) 十一月、土御門家より暦法伝受を受ける
 文政 九年(1826) 『古今名人算者鑑』に名前あり(東前頭十三枚目)
 天保年間頃   没する? 70~80才。


■師弟関係

               ┌─早井次賀  ┌─武藤久之助
               │       │
               ├─秋保盛弁  ├─小島長助
               │(  -1849) │
加茂紋三郎─┬──遠藤清寅──┼─丹野清晴 ─┼─我妻彦七
      │(1760頃-1840頃) │(1794-1868)│
藤広則  ─┘        ├─松木清直  ├─武藤喜之助
(1748‐1807)        │(1777-1827) │
               ├─小野寺   └─丹野権兵衛
               │
               └─小岩幸吉


■関連資料
エンドー・キヨトラ 【逮藤清寅】和算家。通称右門、西磐井郡一関の和算家。京都加茂義明の弟子にて天文司家土御門家より寛政暦法の秘事を皆傳せらる。【仙台人名大辞書】 注:加茂義明は、柴田蔵人家中の人物。京都の人ではない。
築館杉薬師

築館杉薬師

文化九年に遠藤清寅の門人である小岩幸吉が算額を奉納しています。
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清涼寺

遠藤右門の門人・丹野清晴の菩提寺
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丹野清晴の碑(右)

左は吉田流の和算家・丹野村清の碑です。
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