~ 天文家の人物伝 ~
フナヤマ・スケユキ【船山輔之】 天文家。通称喜左衞門また喜一、天文學を戸板善太郎保佑に學び、後ち保佑と共に幕府暦官山路主住の門に入りて其の蘊奥を極む、著に絵本工夫の錦前後篇三巻あり、この人蓋し前項の舟山喜市と同一人か。
フナヤマ・キイチ【舟山喜市】和算家。中西流算法は元祖毛利勘兵衞重能(慶長年間の人)より傳ヘて仙台藩士戸板善太郎(黄海)に至り、黄海より大番組舟山喜市に傳ふ。 フナヤマ・スケキヨ 【船山佐清】算學家。善左衞門と称す、戸板善太郎保佑の高弟にて関流、中西流算學の両傳を得たり。
フナヤマ・スケヒデ【船山左英】 天文家。字は伯美、圭山と号す、通称を左司馬と曰ふ、祖喜一、諱は輔之、安永九年天文學に通ずるを以て、辟されて幕府の暦官山路氏の属員となり、家を江戸に移す、父善左衞門、諱は佐清と称す、佐英天保四年十一月、暦作測量助役となり、十年四月蛮書和解書役に転じ、文久元年四月疾を以て職を辞す、慶應二年九月九日没す、享年五十三、仙台北八番丁江巌寺に葬る。(碑文)
元文 三年(1738) 生まれる。
宝暦年間 三両を貰い、戸板に関流の数学を学ぶ
宝暦 十年(1760) 冬至、戸板保佑、山路主住より、見題、隠題免許
宝暦十二年(1762) 五月、戸板保佑の門人となる。稽古料三両を受ける。
宝暦十三年(1763) 正月十一日、中西流の免許を授かる。
明和年間 山路の門人となる。
明和 四年(1767) ニ月、関東御普請方となる
明和 四年(1767) 六月、江戸へ行く?
明和 五年(1768) 六月朔日、戸板保佑より関流の免許(隠題・伏題)を受ける
明和 六年(1769) 算法御用指南。
明和 七年(1770) 十一月二八日、山路主住より関流の免許を受ける
安永 元年(1772) 山路主住、没する。
安永 三年(1774) 江戸から問題を送る。
安永 四年(1775) 「私済調暦」を著す。
安永 五年(1776) 冬、山路之徽より、別伝、印可、一子相伝の免許を受ける
安永 六年(1777) 戸板保佑、山路之徽より、印可免許を受ける。
安永 七年(1778) 山路之徽、没する。
安永 七年(1778) 山路の雇員となる。(仙台藩士辞典)十貫一文(諸士藩籍)
安永 七年(1778) 五月、日野多利之助、船山の門人となる。
安永 九年(1780) 天文方の属となる。(明治前日本数学史)
天明 元年(1781) 日野多利之助、関流の免許を受ける。
天明 四年(1784) 戸板保佑、没する。
寛政 ニ年(1790) 九月、山路才助天文方になる。船山は天文方手伝となる。
寛政 三年(1791) 十二月幕府より官資五口を賜る。
寛政 七年(1795) 一月作暦方および測量方手伝頭。
「絵本工夫之錦」上下ニ巻を著す。
寛政 九年(1797) ニ月改暦のため京都に行く。幕府はその資金のため五十両を賜う。
十二月江戸に帰る。白銀二十枚を賜る。
寛政 十年(1798) 「絵本工夫之錦」後編
文化 元年(1804) 幕府より、測量事務を免じられる。
九月十二日歿。享年六七才。十月、左直測量方手伝。官資五口を賜る。
船山佐直
文化 元年(1804) 九月喜一没。
十一月十二日、藩士船山右馬之助左直、測量方手伝。官資五口を賜る。
文化 ニ年(1805) 四月家を継ぐ。
六月住まいを江戸に移す。
文化 八年(1811) 十月目を患い測量の御役御免。
文化十一年(1814) 十月再び、暦作手伝いとなり官資5口を賜る。
文政 六年(1823) 十二月長年の功績を称え、白銀2枚を賜る。
文政十三年(1830) 九月、親類書。
文化十一年(1814) 五月、江戸で生まれる
天保 四年(1833) 十一月 暦作測量助役
天保 十年(1839) 四月 蛮書和解書役、給米三人口
天保十三年(1842) 七月十五日、幕府より禄二人口を加増される
天保十四年(1843) 暦作御用
弘化 元年(1844) 海上砲術の蘭書翻訳により、幕府より銀子七枚を賜る。
嘉永 ニ年(1849) 褒美を受ける
嘉永 五年(1852) 褒美を受ける
嘉永 七年(1854) 褒美を受ける
安政 ニ年(1855) 褒美を受ける
文久 元年(1861) 四月 病気のため、辞職。褒美を受ける
文久 ニ年(1862) 仙台に帰る。
慶応 ニ年(1866) 九月九日没する。享年五三才。
戸板保佑──┬─────>┌─日野多利之助
▽ |(保佑次男)
山路主住──┼─船山輔之─┴─船山左直───船山佐英
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山路之徽──┤
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山路徳風──┘