仙台藩の天文史

~ 天文家の人物伝 ~

小梁川貴矩(こやながわたかのり) 明和6年(1769)-天保11年(1840)


■プロフィール

小梁川貴矩(こやながわたかのり) 仙台藩證文預主立
明和6年(1769)-天保11年(1840)
小梁川貴矩は始め新助と称する。
小梁川家は代々、代官などを勤めた家柄。12貫233文 小梁川善六、諱は貴矩で、春鴬との号を持っています。小梁川家は代々、代官などを勤めた家柄です。寛政3年(1791)大塚頼充の門人となり、天文暦術、神道、兵法、周易、筮法などを学んでいます。文化4年(1807) 、39才の時に京都へ行き、土御門晴親の門人となりました。天保11年9月11日没。享年72才。幽谷斉春鴬の号は晴親卿からもらった。
始め新助と称する。
諱は貴矩、善六と称し、春鴬と号す。土御門晴親の門人で天文・暦術・神道・兵法を学んだ。

コヤナガワ・タカノリ【小梁川貴矩】天文家。諱は貴矩、善六と称し、春鶯と号す、安倍晴親卿の門人にして、天文、暦術、神道、兵法を學ぴて、皆其奥儀を極む、天保十一年九月十一日没す。享年七十二、幽谷齋春鶯の号は晴親卿の賜ふ所なロ。(碑文)


■小梁川貴矩年表

{要調}
 明和 六年(1769) 生まれる。
 寛政 三年(1791) 三月、藩命を受けて、大塚頼充の門人となる。23才。
          土御門家天文暦術、神道、兵法、周易、筮法を学ぶため、金一両を貰う。
 寛政 五年(1793) 八月、家を継ぐ。25才。
 享和 元年(1801) 八月、沢木団治員昆、門弟となる。33才。
 文化 四年(1807) 正月、京都に行き、土御門晴親卿の門人となる。39才。
          韻鑑古義之法、九算術を妙心寺学頭、紫源和尚に学ぶ。
          十二月 仙台に帰る。
 文化 七年(1810) 正月、證文預主立となる。42才。
 天保十一年(1840) 土御門家の正月、八月の資料(※1)に名前あり
          九月十一日、没する。享年72才。


■師弟関係

                ┌─堀武次(1810-1876)
                │
                ├─堀春嶺?
                │
  大塚頼充──┬─小梁川貴矩─┼─沢木員昆(1778-1830)
 (1732-1801)  │ (1769-1840) │
  土御門晴親─┘       ├─三浦義和
                │
                └─小梁川武三郎


■基礎資料
 
(※1)若杉家文書 天文暦方御日記 天保11年正月~12月
記事の写真

小梁川貴矩の碑

青葉区北山にある小梁川貴矩の墓石です。
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