~ 天文家の人物伝 ~
境野七三郎盛敏か 仙台藩江戸留守居など
境野七三郎は、町奉行などを勤めた。ペリー来航の際には、幕府の要請により出兵した。
また、土御門家の門人でもあり、藩主の前で神道の講釈も行っている。
享和 二 1802 生まれる
天保十四 1843 土御門家の直弟としての記録あり(42)
二月の彗星記録に「仙台天文陰陽頭境野七三郎様」とある。(志田郡沿革史)
弘化 二 1845 町奉行を命ぜられる
嘉永 四 1851 伊達慶邦に対し神書を講じる
安政 元 1854 二月朔日、大番組頭として江戸警護のための兵を出す(53)
安政 二 1855 土御門家の史料に直弟としての記録あり(54)(以後、史料が残る安政七年まであり)
安政 三 1856 六月二十三日、藩主に対し安家神道の講釈を行う(55)
九月十五日、町奉行兼切支丹鉄砲両改役
万延 二 1861 村田明哲と江戸で会う(60)
文久 元 1861 十月十六日、江戸番頭(60)
慶応 四 1868 三月十六日、六七歳で亡くなる
小梁川貴矩 ?─┐
(1769-1840) │
境野七三郎──┼── 堀武次
│ (1810-1876)
桜田質───大立目克明──┘
(1774-1839) (1794-1848)