仙台藩の天文史

~ 天文家の人物伝 ~

佐藤五郎兵衛(さとうごろべい) 享保八年(1723)‐文化七年(1810)


■プロフィール

佐藤五郎兵衛(さとうごろべい) 登米町の町人
享保八年(1723)‐文化七年(1810)
宝暦十三年、上京し土御門家から許状を受ける。
その際、九月の日食に誤りがあることを土御門家に報告する。


■佐藤五郎兵衛年表


享保 八年(1723) 佐藤五郎兵衛、登米郡浅部村で生まれる。後、寺池三日町に移住する
宝暦 九年(1759) 2月、登米伊達家家臣・河村春岡に入門
宝暦十二年(1762) 2月 8日、佐竹義根の門人になる
宝暦十三年(1763) 2月朔日、京都に向け出立
         3月19日、京都六角堂餅屋に宿泊。(京都に行く途中に伊勢参り)
         3月20日、土御門家の家司である小泉陰陽大属の屋敷を訪問。日食の誤りを報告する
         3月22日、土御門泰邦から許状をもらう
         9月朔日、日食の予報が外れる
明和 元年(1764) 佐藤宇内義信を名乗る
明和 四年(1767) 閏9月28日、佐竹義根没する。79才。(晩年は外記丁に住んでいた)
明和 六年(1769) 9月初旬、佐藤宇内、渾天儀を考案する
         11日、佐藤宇内、お殿様(登米伊達家当主か)に渾天儀の図を献上する
         12日、佐藤宇内、お殿様が渾天儀をご覧になる
         中旬、渾天儀の箱書きを書く
寛政十一年(1799) 暦守霊社(佐竹義根)の鎮祭神魂がこれまで33回行われた。五郎兵衛(77歳)
文化 七年(1810) 没する。皈眞義信軒神嶺學道善信士位。八八歳

昭和21年(1946) 仙台高等工業学校(現・東北大学工学部)教授・小倉強氏、天文五郎兵衛の存在を掘り起こし紹介する。


■師弟関係

     河村春岡──┐
           │
     佐竹義根──┴─────佐藤五郎兵衛


■基礎資料
 
  
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