仙台藩の天文史

~ 天文家の人物伝 ~

藤広則 (ふじひろのり) 延享5年(1748)-文化4年(1807)


■プロフィール

藤広則(ふじひろのり) 仙台藩天文家・和算家
 藤広則は、姓は藤原、彦六郎と称し、蒼海と号す。六貫三十六文
 遠藤定孝の五番目の子供で、藤彦助広次の養子となる。
 養父の彦助は、石川理右衛門の門人。後に江戸の西村弥助の門人となり、免許を受けている。  父の広次が訳があって禄を失う。
 広則は幼い頃より天象に興味を持ち、貧しいながらも高い志しを持ち続けていた。
 十七才の時に戸板保佑の門人となり天文暦学を学んだが、広則は優秀でその右に出るものはいなかった。
 安永元年八月徹山公(重村)、奉金三両給米四人口を賜い、大番士となった。
 安永五年渾天儀を作る。(仙台市天文台所蔵)
 天明八年広則は青田源蔵とともに土御門家より暦術を教わった。
 斉村公は禄を増やした。この後、多くの弟子を育て、今野信全、遠藤清寅、中塚利為、奥野栄清、秋保盛弁らは、その伝を受け後に星官となった。
 広則は七政行度の計測を三十年以上も行い、これを天文測量誌として、千冊以上の書物とした。土御門家はこれを欲しがり、紹山公(周宗公)に求め、この書物は土御門家へ贈られた。土御門家の暦官はその、正確な事に驚いたという。文化四年十二月二十五日に亡くなる。享年六十才。慈雲山資福寺に葬られる。


■藤広則年表

 延享 五年(1748) 広則・生れる
          幼くして、藤家の養子となる。
 宝暦十四年(1764) 戸板保佑の門人となり天文暦学を学ぶ。17才。
 明和 四年(1767) 「天学一草」を著す。
          戸板の「玉弧角円」を写す。
 安永 元年(1772) 八月徹山公(重村)奉金三両給米四人口。大番士。25才。
 安永 三年(1774) 「西洋暦日食術」を写す(?)
 安永 五年(1776) 広則(29)・戸板(68)渾天儀の作製
 天明 ニ年(1782) 「作立成」(西洋暦法を用いた日月食の推算)
          渾儀で惑星観測を行う。
 天明 四年(1784) 戸板保佑、没する
 寛政 元年(1789) ニ月、暦法を伝授される。
 寛政 三年(1791) 今野信全に奥秘を伝授する。
 寛政 五年(1793) ニ月、桜田虎門が入門。天文・数学を学ぶ
 寛政 七年(1795) 桂山公より賞され、増禄
 寛政 八年(1798) この頃、名取春仲、須江英信、門人となる
 寛政 九年(1797) 十一月朔日、 土御門家に書状を送る
 文化 三年(1806) 小圃仲達に免許
          測量書の著述で、麻上下服及び、銀子十枚を賜る
 文化 四年(1807) 五月、観測を休止
          十二月二十五日、藤広則没する(60)
 文化 八年(1811) 天文測量志、完成。
 文化 十年(1813) 碑の建立。


■師弟関係


 

           ┌─今野信全
           │(天文生:1743-1821)
           ├─中塚利為(免許)
           │(1754-1809)
戸板保佑──藤広則──┼─遠藤清寅
    (1748-1807)│
           ├─奥野栄清(免許)
           │(広海:1773-1818)
           ├─秋保盛弁(免許)
           │(天文生)
           ├─秋保新佐衛門
           │(藤広則の甥)
           ├─藤広信
           │(広則兄の子:広則の養子)
           ├─竹沢丹治定守───千葉善七郎良安
           │(1708‐1769:免許)算法百ヶ条難問
           ├─朴沢直好(棟梁)
           │ 渾天儀の製作者の一人。
           ├─小圃仲達(免許)
           │(1746‐1806)
           ├─須江英信
           │(1756-1814)
           ├─名取春仲
           │(1759‐1834)
           ├─貝山勘七秀親(免許)
           │(仙台藩:二両五人:1759- )
           ├─戸石元治定則
           │(1662石。免許)(1759- )
           │ 安永三年 算額奉納
           ├─戸石広格
           │(元治の弟:1760- )
           │ 安永三年 算額奉納
           ├─桜田虎門
           │(1774-1839)儒学者
           ├─三浦源蔵
           │
           ├─高橋十蔵(免許)
           │
           ├─谷山三郎(免許)
           │
           ├─東郷善蔵
           │(登米郡佐沼東郷村南方)
           ├─阿部勇治(免許)
           │(仙台人名録)
           ├─市兵衛(免許)
           │(入間田村百姓市郎兵衛次男)
           ├─軍吉(免許)
           │(奥の百姓)
           ├─佐川屋長蔵(町人)
           │
           ├─白石良治(免許)
           │
           └─鈴木大助(免許)
           
※貝山勘七秀親  安永三年七月二十五日 算額奉納{要調}


■関連資料
  西法月食和解/前篇 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100248305/viewer/1
暦書 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100248357/viewer/1

  
inserted by FC2 system